■ 教育をシステムととらえる。私達の出発点はそこでした。
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人生のスタートを切ったばかりの子供たち。その可能性は大きくふくらんでいます。
しかし『可能性』も,さし出す手がなければ歩き出す方向を見つけることはできません。
子供たちは,世界そのものに対するには、
あまりにも小さく弱い存在です。どんなに栄養に富んだ材料が用意されていても,おいしく料理してあげなければ、
手を出そうとはしません。また無理に食べたとしても、本当に身につきません。
教育にも子供たち一人ひとりの
個性に合った最良の方法があるはずです。私たちはそれを保護者の皆さんたちと一緒になって考えていくために、
独自の教育システムを用意しました。『学問に王道はなし』……。確かに正論です。しかし私たちには、
子供たち一人ひとりと真剣に向かい合ってきた確かな積み重ねがあります。プロフェッショナルの手になる
その地図は,きっと力強い支えとなるはずです。
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■ 子供たちの地平にたって教育を考える。
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- 久しぶりに故郷の母校を訪ねる。そんなとき誰もが感じるのは,記憶の中の風景といま目の前にある現実とのギャップです。小さかった頃には,あれほど大きくそびえ立っていた鉄棒やジャングルジム……。それが意外に小さく,可愛らしいものであることを発見する驚きです。背伸びしていたこと,遠くに見えていたことが,くすぐったく思い出されるときです。今となっては他愛もことも,当時のあなたにとっては大問題であったはずです。
子供たちもいま,同じように小さな身体で精一杯,毎日を生きています。背伸びしながらも,知らない世界に,そして少しでも高いところを目ざして,チャレンジしているのです。それが,結局は成長への最短距離なのです。だから失敗しても決して笑ったりしないように……。まず,子供たちと同じ 目の高さで,世界をみつめること。そして子供たちの世界を理解することが大切だと思います。
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■ 教育は<ソフト>,しかし<ハード>としての施設,それを忘れてはならない。
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ハード&ソフト。コンピュータ用語として生まれたこの言葉も,現在では広い分野で使われるています。くだいていえば『器(うつわ)』とその『内容』といったところでしょうか。教育の現場では,このふたつに施設と授業内容という言葉をあてはめることができると思います。
教育というものは,端的にいえば知識というカタチのないものを伝える作業。ですから乱暴にいえば,どんな場所であろうと,本人のヤル気さえあればできるはずだ……と,いうのもひとつの考え方です。しかし塾は,子供たちにとっても,大切な時間を過ごすもうひとつの教室,もうひとつの勉強部屋です。短い限られた時間を集中して,しかも真剣に,楽しく過ごすためにもハードとしての側面を忘れることはできません。
ソフトを第一に,そしてハードを忘れることなく……。私たちの基本姿勢です。
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■ 学習意欲は好奇心をもつことから生まれる。 決して強制からは生まれない。
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こんなことはないでしょうか? 子供たちが『今日,学校でこんなことがあった,友達とどこそこへ行って来た』と一生懸命になって話すそのかたわらで,ナマ返事をしながら,新聞を読んだり,テレビを見たり,あるいは台所仕事をしたり……。大人がつまらない,オモシロくないと思っても,子供たちにとっては一大事。その目はすごく真剣です。そうして子供の好奇心の芽を,知らず知らずのうちに摘みとってしまっているのです。
子供は自分の興味をもたないことには,一生懸命にはなれません。すごく正直なのです。いやがることを押しつけても動こうとはしません。大切なのは,子供たちが好奇心をもって見つめているものを,同じように真剣になって見る,優しさ,心くばりです。
私たちの基本姿勢は,つねにそこにあります。決して押しつけることなく,子供たちの側から好奇の目を向けてくるまでしんぼう強く待つ。子供の心を理解しない,大人の論理からの強制は何も生み出しません。
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